なんでいちいち「(笑)」をつけるのかというと、書きたいから書いただけの、ざれごとだからですね(笑)。
特に強い主張ではありませんし、他の人がどのように考えていらっしゃっても、それが自然だと思います――その割にはグダグダと異様に長いんですが、これは単にまとめるのがニガテだからです(汗)。
さてさて、筆者は極論では「TRPGは仲間内だけで遊べばいいんじゃない?」という思考だと書きました。
さらに「TRPGの面白さは、プラスの偶然性にこそある」ということもあわせて述べています。
では、なぜそのように思ったのか、適当に書き殴らせていただきます。
●身内で遊ぶときの方向性
身内で遊ぶ場合(FEARのルールでは、「カジュアルプレイ」と定義されてまして、カッコいい呼び方だと思うので、敬意を表して以下それで(笑))、卓を囲むメンバーの全員が顔見知りなら、適当にやっててもたいていセッションはうまく進行します。
【カジュアルプレイの人の流れ】
身内同士とはいえ2人以上の人間が集まれば、それだけでいろいろとトラブルが発生する可能性があります。
ケンカになったり、セッションが台無しになる発言が飛び出してみたり。
実際、筆者もセッションをぶち壊してしまった、ぶち壊された、苦い経験があります(汗)。
それでもまあ細々とカジュアルプレイをやっていれば、たいていは全員でTRPGを楽しめそうな気がします。
とりあえず、「TRPGが遊びたい!」と強く願うメンバーが1〜2人いれば、グループが崩壊したり解散することは少ないと思いますし。
もともとカジュアルプレイというのは、熱意ある1〜2人が有志を募って形成したグループで行われるもので、その後は惰性で続くこともありますが、メンバー全員が気を抜き始めると崩壊しやすいものだと思います。
遊びのグループなので、熱意が薄れれば消えてなくなるのは当然ですね。
ちなみに筆者が中心となっていたグループは特にトラブルもなかったのですが、メンバーの入れ替わりを経て、なんとなく熱意が薄れてきて自然消滅しました。
なので現在は、2つのグループでお世話になって、TRPGを楽しんでます。
【カジュアルプレイのセッション】
本題に戻しますと、カジュアルプレイでは、GMはプレイヤーのことを知っていて、ある程度の行動の予測がつきます。
プレイヤーもGMの思考や嗜好をある程度は理解いていますから、GMの望む行動を自分のPCに取らせることが多いでしょう。
そういった感じで、GMは自然と「身内にピッタリのシナリオを、身内のテンポで進行する」ことになるわけです。
しかし、たまにGMやプレイヤーが互いの意図を読み違えると、予想外の展開が繰り広げられます。
この予想外の展開が起こると、たいていGMはシナリオの方向修正を余儀なくされますが、誰も予想していない展開となるため、良くも悪くも驚きや興奮が湧き上がってくるわけです。
その予想外の展開は、たいていはギャグっぽく笑いのうちに流されますが、悪い場合はケンカに発展し、良い場合はグループ内に語り継がれるセッションになります。
セッションの予想しうる最大の満足度を100点とすると、GMが80点を目指して作ったシナリオが、遊んでみた結果、0点にも200点にもなりうるわけです。
そして一度でも100点をこえる「予想外に良いセッション」に立ち会った人間は、もう一度その「予想外の面白さ」を味わいたいと感じることが多いでしょう。
【GMのシナリオ作成労力】
余談になりますが「GMが80点のセッションを目指して作ったシナリオ」と書きましたが、これは一般的なGMがシナリオ作成時に自分のシナリオにかける最大限の労力も表しています。
100点のセッションを目指して作るGMは、たぶんあんまりいません――労力的に辛いので。
なぜかというと、本気で100点を目指すシナリオを作るには、人的にも時間的にも多大なコストがかかるからです。
例えば100点を目指したシナリオは、テストプレイが欠かせないはずです――なにせ、「実経験で100点近くを取った経験」をGMは得ようと思えば得られるわけですから、テストプレイをしなければ「100点を目指したこと」にはならないわけです。
わかりやすいところで100点を目指して作られたシナリオの代表例は、商業的な、プロが作成したシナリオです。
これらは(おそらくは)テストプレイを経た上で作られているから、完成度が高いわけです。
決して、文章が上手いとか、細部まで書き込まれているからというだけでは、100点をめざしたことにはならないわけですね。
――まあ、プロが作成したシナリオでも、100点ではなく95点や90点くらいを目標にしている作品もあると思いますが。
いずれにせよ、100点を目指して作られたシナリオが、0点にも200点にもなるのがカジュアルプレイです。
【カジュアルプレイのススメ】
さらに関係ないですが、カジュアルプレイでは、新規参入した新人さんはたいていの場合、ものすごく大切にされます。
なので「TRPGを遊びたいけど、遊んだことが無い!」という人は、近場で遊んでいるメンバー募集をかけているTRPGグループを探してみましょう。
たぶん、しばらくはチヤホヤされますし、慣れてきた頃には「身内で遊ぶ楽しさ」もわかっていただけるかと思います。
まあ、小さなコミュニティ特有の「内にこもった気持ち悪さ」はついて回るのですが、それには目をつぶる方向で(汗)。
●コンベンションで遊ぶときの方向性
コンベンションでは、グループ内で通用した馴れ合いやお約束では、セッションが進みません。
卓を囲むメンバーが見知らぬ人であることが多く、共通認識がないからです。
すると、参加者同士がどういう距離感でゲームを進めれば良いのかわかりません。
会話で進むTRPGなのに、誰がツッコミ役かボケ役かもわかりません――これは重要でして、相手がボケている、つまりギャグで行動や発言していると思ってツッコミを入れると、実はプレイヤーはボケのつもりはなく真剣そのもので、険悪なムードがかもしだされたりするわけです。
険悪なムードが発生してくると、ゲームが面白くなくなります。
すると、コンベンションに人が集まらなかったり、コンベンションを開く運営者がストレスを感じて次からの開催がなくなったりする可能性もあります。
なので、カジュアルプレイでは地道に積み重ねて行かれる「身内にしか理解できない暗黙の了解」の部分を、もっとわかりやすい方法論として抽出し、「万人に理解しやすいルール」にしたくなってくるわけです。
思うにこの部分を中心として、いろいろなTRPG議論が繰り広げられているんではないでしょうか。
【コンベンションのセッション】
コンベンションでのセッションを難しくしている一因が、初対面のGMとプレイヤー間での、互いの認識不足です。
ところがコンベンションでは、失敗して満足度0点のセッションを行うわけにはいきません。
0点でセッションを終わらせてしまったらGMは、もう二度とコンベンションでGMをしたくなくなるでしょう。
コンベンション運営側としては、0点のセッションに参加していたプレイヤーの不評を聞かされたり、再度コンベンションを開いた際に客足が遠のくという恐怖にかられます。
だからコンベンションでは、200点みたいな奇跡的な偶然の産物より、60〜70点の無難で平均的で確実に進行するセッションを望まれるわけです。
なのに実際には、GMはプレイヤーのことをサッパリ知らないことが多いわけですから、PCがどういう風に行動するか予測がつかず、0点率が跳ね上がります。
【コンベンションのススメ】
上記のような理由をあげると、普通に考えれば、初めてTRPGを遊ぶ場にコンベンションを選ぶのは、リスクの高い行為と言えそうです。
もしコンベンションでTRPGを初体験するというのであれば、コンベンションの主催者にその旨を事前に伝えておくと、初心者優遇で事故率を下げてもらえるかもしれません。
あとは、友だちと2人以上で行くべきでしょうね、きっと――楽しさも辛さもわかちあえますので。
しかしそれ以前に、世の中には「コンベンション向け」のゲームも存在しており、これらのゲームであれば、初心者もある程度は安心してコンベンションに参加できるでしょう。
【コンベンション向けのゲーム】
筆者が思う、コンベンションでのプレイを前提に最もうまくルールブックを作成・成功しているのが、FEARのゲームです。
FEARのゲームはコンベンションで遊ぶために最適化されており、その部分が非常に素晴しいため、支持者が多いのだと思います。
●FEARのゲームの方向性
ここで、FEARのゲームについて分析してみます。
「ひとくくりにFEARのゲームとか、くくるんじゃねーよ!」とおっしゃる人もいるかもしれませんが、現在メジャーな作品については、だいたいここに示す方向性にあると思います。
一応、エルジェネシスの時代から遊んでますし、ルールブックも新旧あわせて何冊か持ってますので、デタラメを書いたつもりはないのですが、不足部分があることは認めますので、ご了承ください。
【世界観の共有】
まずFEARのゲームは、コンベンションでは難しいと思われるプレイヤー間の共通認識の確立方法として、TRPGが好な人が知っていそうな、有名アニメやファイナルファンタジー的な世界観やギミックをゲームに組み込んできました。
こうすると、とりあえず世界観を説明する時間が短縮できます。
「〜〜みたいな世界観です」という説明で終わるからです。
「〜〜」を知らない人はどうなるの、という疑問があるかもしれませんが、これはコンベンションに来ている大半の人は、その作品を知っていると見越してのことです。
例えば「ファイナルファンタジー7みたいな世界」と言われれば、コンベンションまで来るタイプの人は、たいてい「ああ、なんとなくわかった」という気分になるかと思います。
そして卓にその「〜〜」を知らない人が1人いたとした場合、GMだけでなく、周囲のプレイヤーも説明に回りはじめ、「ああ、みんなよく知ってるなあ。〜〜を知らないのが自分1人なら、まあ今日は空気を読んで控えめにプレイしよう」的な思考が多かれ少なかれ発生してきて、つまるところ多数決で問題なくセッションが進みます。
逆に言うと、「〜〜」を知らない人ばかり集まる場所では、この方法論は通用しにくいでしょう。
【ゲーム進行とロールプレイ的役割分担のルール化】
年を追うごとにFEARのゲームはコンベンション向けに進化し続けています。
ゲーム進行のルールを取り入れることで、セッション中のトラブルを減らし、GMの予定した時間内にセッションが終わらせやすいようになっています。
ゲーム進行のルールと並列して、「ロールプレイ」部分が強調されてきた側面もあるでしょう――このロールプレイが強調される面も、ゲーム進行のルールと密接に関係していると思います。
どのようなルールがコンベンション向けで、どのような相関関係があるのか、考えてみました。
・今回予告
FEARのゲームで多用されるのが、「今回予告」をはじめとする「セッショントレーラー」と呼ばれるもので、セッション前にGMが望む展開をプレイヤーに告げるという手順です。
これでプレイヤーがGMの望まない、今回予告をわざと外した行動を取ったなら、それはそのプレイヤーが「非常識」という話になるだけです。
言い方を変えますと、GMと周囲のプレイヤーの無言のプレッシャーにより、今回予告どおりの展開に持っていかれるわけです。
これで、シナリオは予告どおりに進むはずです。
・シーン制
そしてさらにGMを支援するルールに、「シーン制」があります。
GMがシナリオ内に必ず入れたい場面を、予定どおりの順番でセッションに盛り込むためのルールです。
なにせルールで定義されていることですから、GMが「シーンを切り替えます」と言ってしまえば、確実にシーンはGMの望む方向へと進みます。
それに、コンベンションで必ず留意しておかなければならない「プレイ時間」も、GMが自在にコントロールできるわけです。
グダグダした場面では、メリハリをつけて次のシーンに進めてしまうということを、GMが意識しやすくなるという利点もあります。
ですが、それでもプレイヤーがGMの望まぬ発言をして、ひとつのシーンが崩壊し、セッション進行が妨げられる可能性はあります。
・ハンドアウト
そこで登場するのが「ハンドアウト」です。
セッション開始前にGMから「あなたのPCは、こういう立場で、こういう思考のもとに、こういう目的でシナリオに参加します」と伝えられるわけですから、それに反した行動を取るプレイヤーはよほどのヘソ曲がりか、そもそもGMに協力する気がない、ということになります。
・セッション進行ルールの長所と短所
「今回予告」「シーン制」「ハンドアウト」――ここまでやれば、セッションはほぼGMの思惑どおり進むことが保障されます。
GMが80点のセッションを目指していたなら、少なくとも50点くらいは保障されるわけです。
しかしゲーム進行に制限をもうけるだけでは、プレイヤーは満足しにくいですし、100点満点は取れないでしょう。
また、TRPGでは昔から重視されてきたと思われる「PCの行動選択肢の広さ」は、明らかに阻害されています――もっとも、筆者としては「PCの行動選択肢の広さ」というのは建前だけで、実際には昔から「暗黙の了解」にしばられていたと思うのですが。
・個別導入
プレイヤーを満足させるために登場するのが、「個別導入」です。
「個別導入」には、PCの行動を制限するはずの「シーン制」と「ハンドアウト」も、プラスに働きます。
PC1人ごとに、そのPCが確実に主役として目立てるシチュエーションが、1セッション内に確実に用意してあるわけです。
プレイヤーは自分に確実にスポットライトが当たっていることに快感を感じ、自己陶酔的な喜びを見出せるわけです。
そこまではいかなくとも、人間というのは特別扱いしてもらえれば、むずがゆいかもしれませんが不快には感じにくいものでしょう。
・モブに比べてPCは超人?
FEARのゲームは、総じて「偶発的なPCの死亡」を回避する構造になっています。
端的に言えば、GMの意図や見当違いでも無い限り、あるいはGMとプレイヤーの同意が無い限り、PCは死亡しません。
なので「PCがシナリオと関係なく偶発的に死亡する」というストレスを、プレイヤーはもちろん、GMもあまり感じずにすむわけです。
そうでないとしても、NPCをその他大勢と扱う「モブ」のルールがあるゲームが多いため、ザコ戦闘ではまずPCは死なないでしょう。
これにより、「PCは選ばれた特別な存在」という意識がプレイヤーとGMに目覚め、世界を巻き込むようなダイナミックなシナリオに、PCが関わることの説得力を増すわけです。
・セッション満足度の底上げ
というわけで、「個別導入」と「超人的なPC」を始めとするルール的な支援により、GMは比較的簡単かつ意図的に、プレイヤー全員に満足感を与えられるわけです。
するとセッション進行ルールで最低限は確保されている50点にプラスアルファがつくわけで、GMの目指す80点に近づくことも難しくなくなるわけです。
GMとプレイヤーがうまくかみ合えば、予想できる最大限の満足度である100点を取ることもできるでしょう。
・ゴールデンルール
ゴールデンルールは、要するにTRPGの「暗黙の了解」を明文化したものです。
長年TRPGを遊んできた人にとっては無用の長物に見えます。
なにせ、当たり前っぽいことをわざわざルールにしているので。
しかしコンベンションには、たま〜に「ルールに書いてないことに、なんで従わなきゃならねーんだよ!」というコミュニケーション能力に問題があるタイプの人がいらっしゃるので、このルールが明文化されたのでしょう。
筆者もコンベンションでこのタイプの人に、凹まされたことがあります――なんでアンタ、楽しむつもりも無いのにここにいるの? なんで怒りながらGMにケンカ売ってるの?――てな具合に。
「ここに、楽しむ心が重要って書いてますよね?」
「ここに、GMに従おうって書いてますよね?」
こう言われれば、あなたはどう思いますか?
しかも、本の最初あたりに、最重要事項っぽい雰囲気で書かれているわけです。
活字というのは説得力があるようで、印刷物を広げて見せられると、黙ってそれに従うしかない気分になってきます。
カジュアルプレイで遊ぶぶんには、このゴールデンルールは不要ですが、上記のような理由により、コンベンションではあったほうが都合のいい場面が、それなりにあるのだと思います。
ちなみにカジュアルプレイだと、平然とGMに抗議・反発する(=ゴールデンルールを無視している)プレイヤーがいますが、これはケンカを売っているわけではなく、そういうプレイスタイルを周囲が容認しているためです。
ゴールデンルールに相当する部分を無視したところでゲーム進行にはさして問題があるわけではなく、それ以外にも何かメリットがあるから、一見すると身勝手な発言でも流しているのです。
「それ以外のメリットってなんだよ!」と思う人もいるかもしれませんが、それはそのグループによって異なります。
もし周囲が不快に感じていらなら、ゴールデンルールを無視しているプレイヤーに何らかの注意や示唆がなされているはずです。
重ねて言いますが、それでもゴールデンルール無視を容認しているのは、なんらかのメリットがあるからなのです。
明文化されていることが、ルールのすべてではないんですね。
これが、「暗黙の了解」です。
ちなみに、このブログもパソコン画面では活字で表示されるわけですが、もし万が一(そんな人はいないと思いますが)書かれていることに「説得力がある!」とか思われた人は、気をつけてください。
世の中には明文化されていない部分にも、色々と真実が隠されている物なのです。
【FEARがコンベンション重視の理由?】
……長々とFEARのゲームについて解析してきましたが、要するにFEARのゲームは、「失敗の無いゲーム構造」を作り出しているわけです。
10卓立てて平均点を取れば、70点くらいになりそうな気がします。
70点のセッションに不満を言う人は、ほとんどありません。
この部分が素晴しいわけです。
長年のコンベンションの経験則により、論理的に組み立てられたゲーム構造ですから、コンベンションへの適合度は抜群です。
じゃあなぜ、そこまでコンベンションを重視するのでしょうか?
それは、商業的な理由からでしょう。
FEARのゲームが現状のようにTRPG業界的にはメジャーになり、軌道に乗った一因には、非常にシンプルな理由があると思います。
それは「関東で定期的にGFコンを開いている」という点でしょう。
筆者は関東までコンベンションに行くような気力も資金力も無いわけですが、関東に住んでいれば、一度はGFコンに参加してみたいと思うかもしれません。
これは商業的には非常に強いことです。
なぜなら「日本の人口の30%以上が、関東に集中している」からです。
つまり単純に考えて、関東で強い影響力を発揮できれば、それだけで日本全国の30%以上のシェアを獲得できるわけです。
「TRPGは、なにも物理的な距離とは関係なく、ネット上でも遊べるんだよ!」とおっしゃる人もいるでしょう。
たしかに、ネット上でもTRPGは遊べます。
ですがまあ、筆者の感覚としては、ネット上でゲームを遊ぶならばMOなりMMOを遊ぶほうが、労力も少なければ費用も少なくてすむと思うのです。
ネットでのTRPGは、参加者全員がルールブックやサプリメントを持っているのが前提のはずですし、結局はMOやMMOと違い、他人のスケジュールにあわせる必要があります。
じゃあコンベンションのために1日のスケジュールを空ける方が、手っ取り早いと感じる人が多いのではないでしょうか?
また、日本のTRPG需要の30%以上がGFコンの圏内であるならば、無論、ネット上での書き込みや声の大きさも、全体の30%以上は関東一円の人々が書き込んでいると考えて差し支えないでしょう。
関東に住んでいるすべてのTRPGユーザーがGFコンに参加しているわけではありませんが、その影響力が大きいことを疑う余地はありません。
実際問題としてコンベンション自体の開催数が、関東周辺に多いわけですしね。
そしてコンベンション参加の経験やレポートなどは、ネット上に上がって来やすい傾向にあります。
カジュアルプレイの経験をネットにアップしている人も多くいらっしゃいますが、それはグループメンバーの中でも熱心な1〜2名ではないでしょうか。
どちらかといえば、わざわざコンベンションにまで足を伸ばす労力を支払える、パワーある熱心な人の方が、ネット上でも多くを語る傾向にあると思います――まあ、この辺は統計を取れるわけでもなし、筆者の適当な妄想に近い話ではありますが。
そういったわけで、「関東でのGFコン」という強力な広告塔を打ち立てることができ、そのGFコンで平均点以上の満足度を確保するため、FEARのゲームはコンベンションに最適化されていると思うのです。
GFコンへの参加経験がある人が、関東近辺でユーザー主催のコンベンションを開催することも多くなりますから……素晴しい連鎖の完成です!
どうしてFEARがコンベンション重視だと断言するのかといいますと。
ルールブックでの記述順で「コンベンション」が先にあり、その後に「カジュアルプレイ」がありますから、どちらに重きをおいているのかは明白だからです。
【バランス調整にかかる費用】
ところで、FEARのゲームは単発セッションでは最高のパフォーマンスを発揮するのですが、キャンペーンでは成長のバランスが微妙だったりすると思うのです。
この辺りにも、FEARのゲームがコンベンションでの、単発からせいぜい2・3回の連続セッションでしかバランスを取るつもりが無いことを物語っているように感じます。
これは、別にFEARのゲーム作成スタンスを非難しているわけではありません。
キャンペーンで遊んでもバランスが取れるゲームを作っていくには、かなりの労力とコストを要するはずです。
試算してみましょう。
「10回続けてキャラクターを成長させてもバランスが取れているゲーム」を作るには、最低でも10回のセッションをこなさなければなりません。
GM1人、PC4人として、1セッション3時間のテストプレイを行うとします。
1人あたりに交通費込みで時給1000円を支払うと、1セッションに「5人×3時間×\1000」で15000円かかります。
すると「10回セッションする」には、最低でも15万円ほどの費用が必要なわけですね。
本の印税率は10%程度が相場と聞いていますので、それにあてはめて「15万円」を考えてみます。
3000円のルールブックなら、印税は300円。
テストプレイヤーに支払う金額を確保するだけで、500冊売らなければならないわけですね。
さて。
上記の試算では、「PC4人は、いつも同じようなキャラクター」ということになります。
たいていのTRPGは、いろんな種類のPCを作れますね。
様々な組み合わせを試すのに、結局50回のテストプレイ・セッションが必要だったとします。
すると人件費は75万で、それだけで2500冊ぶんの印税が消えるわけです。
もしルールブックが1000円なら、7500冊がテストプレイ代に消えるわけですが(汗)。
この試算は、「10回続けてキャラクターを成長させてもバランスが取れているゲーム」に要する費用ですから、これが20回とか30回とかになってくると……うーむ、そう考えると、コンピュータゲームよりは人件費が低いですが、流通数がそれより少ないと考えると、あまり割りの良い商売じゃなさそうな(汗)。
それに、FEARやグループSNEのように、10人も20人もが集まってゲームを作れる体制にある会社は、日本にはほとんどないでしょう(D&Dを作ってるTSRというかウィザーズは日本では無い上に、D&Dは疑う余地無く世界No1タイトルなので、除外です(笑))。
コンベンションで失敗しないバランスを模索するにしても、カジュアルプレイで長期的に遊べるバランスを模索するにしても、ゲームを快適に遊べるバランスを探すには、かなりのコストを要しているはずなのです。
なのでまあ、筆者は「このTRPGのルールブックは高いよ!」とは、あまり言わないように心がけてます。
●偶然性の楽しさ
長々と書いて参りましたが、筆者の好みは「80点を目指して、たまに偶然に200点が取れるセッション。でも0点や赤点もあるので、平均点は60〜70点くらいかも?」という、一見すると無軌道なTRPGです。
要するに、予定調和だとかお約束の展開を望むなら、一人で好きなDVDや動画を見たり、ネットゲームを遊べばいいんじゃないの、と思ってしまうのです。
しかし無軌道なTRPGを、セッションが失敗すると大惨事を引き起こしやすいコンベンションで試すわけにはいきません。
だから「TRPGは仲間内だけで遊べばいいんじゃない?」という思想にいたるわけです。
これは別に、コンベンションを否定しているわけではありません。
コンベンションはTRPGの普及に貢献していると思いますから、ぜひ開催してもらいたいものではあるのです。
しかし、コンベンションにこそTRPGの楽しさがあるのかといえば、筆者はそうは思えないわけでして。
これは正直言って、好みの問題です。
なにより「自分はこれからも、何度でもTRPGを遊べるに違いない。だから、1度や2度の大失敗があったって、1度か2度の大成功をいつかは味わえるだろう」という思考が、筆者には確実にあるのです。
「一度のセッション」の重みを重要視した場合、この筆者の思考はとても甘えたものに見えるでしょう。
ですが、ひとこと言わせていただきますと。
「TRPGは、しょせん遊び」
ということです。
甘えの許されない遊びというのは、すでに遊びではなく、違う何かではないでしょうか?
それにFEARのゲームのような、コンベンションに特化されたゲームも、「ストレスを感じず、頭を使わずにTRPGを遊びたい」とか「セッションで失敗したくない」というGMやプレイヤーの甘えがあるからこそ、普及したものだと思うのです。
筆者の目には、
「プレイヤーが平等であることをルールが保障している。そのため、ほぼ確実に予定どおりの楽しさを得られるゲーム」
よりも、
「プレイヤーには自由な選択肢が示されているが、平等さは保障されない。しかし、予想を上回る偶然の楽しさを得られる可能性のあるゲーム」
の方が、より魅力的に映るだけの話なのです。
さらに端的に言いますと、筆者は論理的に組み立てられた美しさや面白さも大好きなわけですが――例えば、このブログの主体である六門2ndは、戦闘における論理的な組み立てをする部分が楽しいのですが――その論理的な部分をブチ壊してくれる何かを、TRPGに求めているのです。
なので、例えば六門2ndでは戦闘バランスをブチ壊してくれる「同時攻撃」の存在を大歓迎しますし、ソードワールドのクリティカルも大好きですし、ロールプレイで一見するとふざけたキャラクターを演じるのも大好きなのです。
なんでも明文化でき、わかりやすくできるというのは、人間の脳ミソが作り出した幻だと筆者は考えております。
筆者は一元論を信じませんし、「論理的思考や科学は万能だ!」という原理主義にも陥りたくありません。
目に見えない、普段見えていない部分にも、大事なことがあると思うのです。

