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Rock_Mon2nd

TRPG「六門世界RPGセカンドエディション」好きなゲーマーの紹介記録です。

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[TRPG]RPGのゲーム性(笑):中編

 前記事「RPGのゲーム性(笑):前編」の続きです。

 前回の結論として、私は「ゲーム性=競技性≒公平性」であると考えており、その結果「現在日本で主流となっているTRPGはゲーム性が低い」ので、結果として「TRPGにゲーム性なんて必要無い、という考えに至る可能性がある」と……適当(自分で言うな)な事を言いました。

 今回は、なぜそんな考えに至るのか、ということです。

 相当まとまりに欠けて冗長な記事ですが(汗)、よろしければお付き合いください。



TRPG≒宴会
 TRPGのゲーム性が低いのは、なぜでしょう?
 先に結論的なことを書いてしまうと、「TRPGは宴会みたいな物だから」ということになります。
 宴会に、私の言うところのゲーム性――競技性や公平性――は、一切必要ありません。
 参加者が皆、楽しければ良いわけです。

 私はこの「TRPGは宴会みたいな物」という考え方に、ここ数年でようやく辿り着いたいたのですが、それまでは「なんでみんな、TRPGにゲーム性を求めないんだ?」と思っていました――十何年もTRPGやってるんだから、もっと早く気づけよ、と自分でも思った次第ですが(汗)。
 もともと対戦格闘ゲームやTCGが好きだった私は、どうしてもTRPGにゲーム性を強く求めてしまい、非常にマンチキンなプレイを続けていたからです――そしてそれは現在も変わりなく、私の好きなTRPGは、ゲーム性の高い六門セカンドなわけなのですが(笑)。

 しかし、遅まきながら「TRPGは宴会みたいな物」という考えに至ったとき、色々と納得してしまったのです。
 まず、「TRPGは宴会」と捉えた場合、私は人見知りする性質なので、身内でしか心から宴会を楽むことはできません――つまり、身内だけのカジュアルプレイの方がしっくりくる、ということです。
 身内以外が大勢いる宴会というと、私の体験した物では、取引先の大会社の謝恩会とか、縁者の結婚式の披露宴や二次会、そして合コンといった辺りです――まあ、いずれも両手で収まる回数しか参加したこと無いんですが……それに合コンは「会話力」とか「イケメン度」とか「魅力度」を競う、ある種の競技性があるので、除外すべきですね(汗)。
 いずれも私は、積極的に参加したいと思うタイプの宴会ではありません――友人の結婚式は除きますが(笑)。
 同様に、私はTRPGのコンベンションも、人に誘われなければ行かないわけでして……。

 閑話休題。
 要するに、TRPGの卓で険悪なムードを漂わせる人には、「まあ、TRPGって宴会みたいなもんだから、空気読んで行こうよ!」と伝えることができれば、色々と問題が解決しそうです。
 パーティや宴会では、たとえそれが身内の物であっても、最低限のマナーというのを踏み越える人は、まずいません――酒に酔って大暴れしたら、後日、人生的なダメージを受けたりしますし。
 TRPGの卓で問題を起こす人は、基本的に「オレの言うことを聞け!」的な方向が多いと思いますが、宴会でそんな事を言えるのは、主催者や主賓くらいなものでしょう。

 TRPGを宴会と捉えた場合、GMは幹事兼司会進行兼料理人兼……と、宴会における裏方的な部分を背負っている人であると同時に、宴会の主役である主催者・主賓の位置でもあります。
 つまり、「オレの言うことを聞け!」と言っても問題の無い、唯一の人物ということになるわけです。

「宴会にゲーム性や競技性は不要でも、公平性は必要なんじゃない?」と思われるかもしれませんが、公平性を重んじるかどうかは、宴会の主催者なり主賓の影響――つまりTRPGの場合、GMの影響――が、色濃く出ると思います。
 上下関係の大きい体育会系の部活の宴会や、会社の宴会では、明らかに公平性に欠く場面がありますから(笑)。
 だいたい、宴会の幹事や主催者であるところのGMが、他の参加者と同じ立場では無い以上――GMが物腰丁寧にへりくだることはできますが――「公平性」などあるわけが無いのです。



■GMの権限が大きい=ゲーム性が低い
 構造的な面で見ると、TRPGのゲーム性が低い最大の要因は、「GMの権限が大きすぎるから」という部分に集約されます。
 GMは、ゲーム性・競技性・公平性のすべてを否定する存在です。

 競技性という側面では、TRPGのゲーム中の勝敗は、すべてGMの心積もりひとつで決まります。
 TRPGの基本的な約束では――というか、PCが活躍してシナリオ上の問題を解決していくほとんどのTRPGでは――GMは「可能な限りPCに目標達成させるように≒可能な限りプレイヤーに負けてあげるように」しなさいと、ルールブックに書かれています。

 GMとプレイヤーを比較した場合、ゲーム構造上の公平性はまったくありません――公平なのは、互いにセッションを楽しむ権利と、セッションを潰さない努力を課されているという義務の、2点くらいです。
 その証拠に、たいていのTRPGでは、GMはプレイヤーやPCがどれだけ頑張っても勝てないような敵や、解けないような問題を、シナリオ上に登場させても良いのです――ストーリー演出以外の場面でそんな事をすれば、そのGMは干されると思いますが(笑)。
 またGMには、言い方が悪くはなりますが「自分の作ったシナリオを強要する権利」があるわけです――プレイヤーには、よほどのことがない限りGMを困らせるような発言はしないようにするべきであるという、暗黙の了解があるからです。



■シナリオ成功が前提≒ゲーム性が低い
 TRPGのゲーム性が低い要因のひとつは、基本的にTRPGであってもコンピュータRPGであっても、「プレイヤーが放棄しない限りは、必ず定められた結末を迎える」という構造を、強要されているからという部分があります。
「それは、ソロプレイのコンピュータゲームに限って言えば、どれでも同じだろう」という意見もあるかと思います――それは、「その通りです」という部分と、「少々違います」という部分があります。

 コンピュータゲームは、ネット環境の整ってきた現在はともかく、作られ始めた時代は「ソロプレイが前提」だったわけで、現在でもコンピュータゲームの大半はソロプレイが前提です。
 そして、コンピュータゲームの大半は、「最終目的を達成できることを前提に作られている」のです。
 つまり、必ずしもソロプレイのゲームは最終目標をクリアできる必要はないのです。
 ソロプレイゲームの最大の共通事項は、「まるで複数人数で遊んだときのような達成感を、プレイヤーに与える構造である」ということです。

 例えば、トランプの「ソリティア」です。
 ウィンドウズにも入っているので、試しに遊んでみればおわかりいただけますが、このゲームはまず「ゲームがクリアできるかどうかは運次第」な部分があります。
 また、ソリティアは実は「ゲームのクリア」自体が目標ではなく、「プレイヤーが試行錯誤の上、ひたすら最高得点を目指すこと」が目標です。

 しかし、日本で主流となっているTRPGは、程度の差はあれ「PCが最終目標を達成すること」を前提に作られています。
 失敗を前提に組まれたシナリオというのも、あるにはあるでしょう――古いD&Dなどのシナリオは、何度も全滅し、PCではなくプレイヤー知識が蓄積することによってようやくクリア可能になる、トライ&エラーなシナリオが多数存在していたそうです……私はシナリオを見せてもらっただけで、実際にプレイはしてないんですが。
 しかし現在の日本の主流は、あくまで「PCが最終目標を達成すること」が主流ですし、そうでなくても「最終目標を達成できなくても、PCが失われることは少ない」という部分があります。

 現在、日本で主流となっているTRPGのゲーム性が低いのは、「PCは、ほぼ不死身である」という側面があるから、というのがあります。
 もちろん例外はあって、例えばダブルクロスでPCがジャーム化することもあれば、SW2.0のミストキャッスルで穢れが溜まりすぎてゲームオーバーということはあり得ますが、いずれも「それが普段のセッションでよく起こる現象」ではありません。

 それにもし、GMがクリアできないシナリオばっかり作っていたのでは、プレイヤーは楽しくありません。
 そして、クリア前提のシナリオばかり遊んでいるプレイヤーは、シナリオがクリアできなかったとき、強いストレスを感じたりするのです。
 ほとんどのGMは、プレイヤーのつまらなさそうな顔など見たくは無いでしょうから、プレイヤーの望む方向へシナリオを進めて行きます――例えば、PCが極力死なないような、戦闘バランスを心がけたりします。
 そして「シナリオがクリアできないという不安」や「自分のPCの死への恐怖」を抱いているプレイヤーは、自分のPCに無難な発言や行動――つまり、極端な行いは避け、安全と思われるGMの望む発言や行動――しか、取らせない方向へと向かいます。

 要するに、GMにせよプレイヤーにせよ、現在の日本のTRPGはとにかく「お互いに望んでいるシナリオの着地点」へ向かって進めていくという、予定調和的な側面が強いんじゃないでしょうか?
 そして予定調和というのは、言い方が極端になりますが、徒競走でみんなで手を繋いで同時にゴールするような物ですから、そこに競技性があるわけは無いと、私は思うのです。
 とはいえ、そこにRPGの良さが含まれていることも、間違いありません。



 ……という辺りまで考えても、私はTRPGを遊ぶとき、「ゲーム性=競技性≒公平性」を、多かれ少なかれ求めてしまうのです。
 次回は、実際にTRPGのシステム面に踏み込んで、ゲーム性について考えてみたいと思います。
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コメント


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「TRPGで起きるセッションすべてと自分の経験した範囲セッション」を混同しすぎな話ではないですか?

haru3 | URL | 2009年03月12日(Thu)09:51 [EDIT]


コメントありがとうございます

 ご指摘ありがとうございます。
 確かに我ながら、色々と混同していると思います。

 ですので、この記事は「広くTRPGの一般論を語ろう」という意図を持って書かれた物ではなく、このブログの筆者が勝手に「私は今現在、このようにゲーム性なりTRPGを考えている」という妄言の類として考えていただけると、助かります。
 毎回、その辺りの念を押すのを心がけていたつもりでしたが、お気に障ったようで、申し訳ありません。

Rock_Mon2nd管理人 | URL | 2009年03月15日(Sun)22:32 [EDIT]


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